寿司竜日記 2024年7月19日(金)晴れ 寿司竜一代記⑤ 貴重な板前

7月14日(日)に一緒にマンドリンコンサートに行った後初めての往訪。

「コンサート後のもんじゃ焼き、よかったですね。でも、週明けに体調悪くなって、医者行ったら咳喘息ということで、けっこう辛かったんですよ。」とマスター。

「たばこやめりゃ楽になるんでしょうけどね。でも、たばこやめるストレスでかえって体調悪くしますかね?」

「そうです、たばこやめた方がストレスですね。何しろ、客層が客層なんで・・・。」と最近小島よしおに似ているといわれる予約のお客さんの一升瓶を見ながら、ニヤリとする。

「話は変わりますけど、最近昭和史に興味があって農地改革について調べてるんですよ。マスターの実家はフナの甘露煮の商売やったたとのことですが、農地改革なんて関係なかったですか?」と小島よしお似の方がお見えになるまで暫くの間、マスターに関する話となる。

「うちの親父は熊谷から古河に行ったんですよ。川魚の漁師やってたんで、私も小さい頃は船に乗って川の刺し網上げるのを手伝ったもんです。当時高級だった1馬力1万円する5馬力ぐらいの船外機つけて船を出してたんですよね。たまには鰻が取れました。ウナギは売るほどは取れないんで家族で食べてましたね。」

「私もおじさんが漁師をやっていて、やはり船外機付きの小さな船に乗せてもらったことがあるんですけど、海の刺し網上げると、魚がかかっているんですよね。でも、刺し網の漁で、食べてゆくなんて今思うと大変なことです。」

などと、今夜はこれまでにない漁に関する話題となる。海の漁師は今でも日本全国にそこそそいるが、川魚の漁師は当時でも多分数えるほどで、今はほとんど居ないだろう。その数少ない川魚漁師の末裔で、実際に川魚漁を経験しているのが、”そこに板前”なのだ。

競馬とパチンコしか知らず、くだらないダジャレばかり言っているが、実は人間国宝のような貴重なキャリアも持っているのが、この寿司竜の”そこに板前”なのだ。

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