今夜は鍼灸が得意な人事部長と待ち合わせで6時ごろ到着。一番手前の席に数寄屋橋さんが佇ずむ背後を通り抜けて一番奥の席につく。カウンターコーナーを回っての奥側は、コロナで席を間引くようになってから2席しかなく、ゆったりしていい感じである。
席に着くなり、昨日まで三週間3回にわたり「暮らしを支えるAI」というタイトルで講演会を受講していたため、その話題を振る。
「マスター!前も言いましたけど、昨日まで生成AIに関する講習を受けてたんですよ。昨日は、生成AIで”100年後の東京”とか”100年後の稚内市”とか画像作ってみたんですけど、本当にすごいもんですね。」などと、こちらが少し興奮気味に話しかけると
「そんなこと、どうでもええあい(AI)! そんなことより、今日は、いいネタいっぱいありますぜ!」となかなかのパンチを繰り出している。
AIに関する雑誌などを読むと、AIの普及・活用拡大で、「職業で言えば、生身でなくてもできるもので稼ぐものは難しくなる。たとえば、税務のようにルールベースで解ける仕事はアルゴリズムが作られて代替されやすい。一方、価値が高まるのは身体性の高い職業、具体的にはシェフや寿司職人は稼げる。」などと書いてあるが、なるほどである。着席早々、寿司ネタを用意しながら、お客の話に合わせてどうでもいいダジャレを繰り出すとは、いかに進化したとはいえAIには無理だろう。
そんなことを感じているところへ、いつも遅刻して平気な人事部長が珍しくほぼ定刻に到着。続いて年配のご夫婦とおぼしき方、さらには活舌の良いよしお君なども到着し、お店がにぎやかになる。
さらにややしばらくして外人さんが到着し、その年配のご夫婦と入れ替わり着座すると、”そこに板前”は流ちょうな日本語で外人さんをあしらっている。その姿はどんな文明の利器もとってかわることはできないだろうと思わせる凛々しいものである。
とはいえ、画像生成AIに100年後の寿司竜の画像を作らせても、今と変わらぬ光景が描かれるであろう、進化の予感のない寿司竜である。