昨日夕方に予約の連絡を入れたところ、最後の一枠にぎりぎり滑り込みということで、何とか席を確保して今夜も一番乗り。確かにきれいに予約のお盆が置かれており、美しい風景である。
時節柄、お盆の話になる。
「マスターはお盆はどこか行ったりするんですか?」
「矢板のほうに、縁のある方の家があって、そこへ女房と一緒にね。ラブラブなんですよ。」
「それはいいですね。お嬢さんは一緒に行かないんですか?」
「行きませんね。お盆は帰省してこないんですよ。でも、最近分かったんですが、親にも連絡しないで引っ越していたらしんです。」
「それは困ったもんですね。マスターは携帯持ってないから電話できないでしょうから、たまには手紙でも書いてあげたらいいんじゃないですか?」
「そうですねぇ・・・。」と少し寂しそうなマスター。しばらくお嬢さんに会った話は聞かないので本当は会いたいのだろう。
とそこに、予約のお客さん4名が到着。某スポーツ新聞関連の方々だ。
「・・・ボクシング・・・沼田義明・・・ガッツ石松・・・」とボクシング関連の話題で盛り上がっているが、その中でガッツ石松が最初のファイトマネーでバナナを買ったという話が耳に入る。
「へぇ~そうなんだ」と心の中で思いながら聞いていたが、帰宅後調べてみると確かにそうらしく、某ブログに「初めてのファイトマネーが3,300円で、1,000円を両親に、1,000円を郵便貯金に、そして1,300円をバナナに使いました。いまの価値にすると2万円くらいでしょうか? いまよりもずっと高級だった台湾バナナが30本近く来て、一気に食べたけどおいしかったのは20本くらいまでですかね(笑)」とガッツ石松が語ったというのを見つけた。
”初めてのファイトマネー”がデビュー戦とすると、1949年生まれの石松が17歳の時(1966年)になるが、その年の大卒の初任給は3万円台後半のようなので、大卒初任給の1/10ぐらいがファイトマネーだったのだ。1300円のバナナ代が今の幾らになるかは分からないがともかく大変な金額だったのは間違いなさそうだ。
それにしても、ガッツ石松は経済的には恵まれない環境下で生まれながら、それをものともせず自分のこぶし一本でのしてきたのはすごいし、貧しい環境をうらむでもなく最初のファイトマネーを親に渡すように親に感謝していた気持ちは素晴らしい。
親子って素晴らしいな。マスターのお嬢さんも、お盆に実家に帰ってくるとうれしいな。