瀬戸内海 旅の記録④ 7日目(最終日)本島の小坂集落へ

●7日目(5月16日(金))

瀬戸内海の旅もいよいよ最終日である。今日は、今回の旅のきっかけとなった小坂騒動の地、丸亀沖にある本島(ほんじま)に向かう。

朝食は6時半からホテルでとり、7時40分の船で丸亀港から本島港に向かう。30分ぐらいで本島に到着しレンタサイクルを借りて、小坂騒動発生地の小坂集落に。

何もない漁村である。ここで明治維新の頃、島民が殺しあったとは想像もできないが、いまでは地元の人でもその小坂騒動のことは知らない人が多いらしく、レンタサイクル屋のお姉さんも知らなかった。

小坂集落を一通り見てから、島の中心部にある塩飽勤番所跡を訪れる。島の役所だったところである。ここには信長・秀吉・家康の朱印状など、歴史的遺物の定番といったもののほかに、今上天皇が皇太子時代にここを訪問した際詠んだ歌が掲示されていた。

「雲間より しののめの光 さしくれば 瀬戸の島々 浮出でにけり」

とあるが、素晴らしい歌だ。私も今回の船旅で、瀬戸内海の朝の霞に浮かぶ島々をみて、一句詠めたらと思っていたところ、その情景とこの歌はまさしく一致するのである。

そんな感慨に浸った後、島の東部の笠島地区にある伝統的建造物群保存地区を訪れる。本島を含む塩飽諸島は古くから水軍の本拠地だったが、豊臣秀吉の頃水軍として貢献したところから、特別に塩飽諸島の自治権を認められ、どこの大名にも属さず明治維新まで至った地で、江戸時代から明治にかけての古い建物群が残っているのである(自治権を認められた650人の人たちのことを人名=にんみょうという)。

その建物群の見学に訪れ、観覧料200円を払って最初の建物に入る。受付は年配の男性の方だ。その方に、小坂騒動の話を知っているかと尋ねると、知っているとのこと。もしかして、人名の子孫ですかと聞くと、江戸時代からの人名の子孫ではないが、明治のころ祖父が人名株を購入したとのことである。とうとう人名にご縁のある方にたどり着くことができた。

「この建物は島の村長の元邸宅です」などといろいろ説明を受ける。島のことを聞くと、漁師は随分と減ったらしく、この建物群のある「笠島漁港」では漁師は2人しかいないことや、島の中学生、小学生はそれぞれ5名など。ここも兵(つわもの)どもが夢のあとの島である。

さて、いよいよ東京に引き返す時刻である。12時35分本島発の船で丸亀に向かい、そこからJRで岡山へ、そして新幹線で東京だ。

天気にも恵まれた素晴らしい旅だった。

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