●4日目 10月22日(水)
前日コンビニで買っておいたカップうどんを食べて6時前に出発。当初予定ではここから落合宿、馬籠宿、妻籠宿と歩くつもりだったが、馬籠から先の行程に余裕を持たせるため、落合宿までタクシーで向かい、そこから歩行開始した。いきなり落合の石畳があり、風情のある街道歩きである。雨が降るかもしれないとの予報であったので、リュックにカバーをつけ、少し厚着をしての出発だったが、馬籠へ向けて登り基調の道で段々汗ばんできたので、上着と重ね着していたパンツを脱ぐ。2時間ほどで馬籠に到着。馬籠から妻籠にかけては、世界的にも有名な場所で、外人さんが多いとは聞いていたが、早朝からすれ違うのは外人さんだけである。本当は人があまりいない静かな街道を歩くのが良いのだが、仕方のないことだ。馬籠を過ぎるところに恵那山を見渡せる場所があった。力士の恵那桜で有名な恵那山はどんな山だろうと思っていたが、なかなか雄大な山で、素晴らしい。
時刻を見ると、もうすぐ9時だが、少し手前で通り過ぎた郵便局を思い出し、戻って開局と同時に入店して葉書を購入、旅の消息を記載し、馬籠のスタンプを押して自宅に差し出す。私の次に郵便局に入ってきたインド人と思しき若い女性の二人連れが、スーツケースを送る手配をしているが、局員とのやりとりで「・・・台東区東上野・・・アパホテル・・・」などとやっており、私の家のすぐ裏のホテルに行くことがわかる。岐阜の山奥で郵便局に居る3人が東上野にご縁があるとは不思議である。この郵便局は9時から12時までしかやっていない代わりに、土日も営業しているとのこと。やはり、観光地の郵便局である。
- 馬籠
- 恵那山を望む
さて、改めて妻籠へ出発である。外人さんとすれ違い、外人さんに追い抜かれながら妻籠へ向かう。本来寂しい山道で熊の心配もあるようなところだが、これだけ外人さんが通行していると、熊の不安は少なく、その点では助かる。
妻籠では歴史資料館に立ち寄る。木曽の木材を搬出する櫓のようなものを組んだ写真を見る。昔人力で木曽の木材を切り出していた先人の苦労がしのばれる。また、江戸末期、皇女和宮が江戸へ下る際に持参していた一間もあるような大きな長持ちが下賜されたとかで展示されている。京都からここまでの道中で、手前の琵琶峠でも大きな長持ちを運搬するのは大変なのに、これから鳥居峠や和田峠をこの大きな長持ちをもって通行などできないと観念したのだろう。ここで一句浮かぶ。
”琵琶峠 上げるに懲りて長持を 妻籠の宿に下し置くなり”
- 琵琶峠
- 木曽の木材を切り出す櫓
次の目的地南木曾にある福沢桃介記念館、山の歴史観に向かう。福沢桃介は福沢諭吉の娘婿であり木曽川の電源開発に邁進した「電力王」で、彼の事績に関する博物館なのだが、行ってみると休館であった。月曜日が休館である博物館は多いので留意していたが、火曜日だったので油断していた。隣の山の歴史観も休館だった。付近の観光地を探すと、円空仏を見ることができる等覚寺が歩いて20分ほどの場所にあるので、行くことにする。当初予定の桃介橋を通って行ってみると、仏像が安置されていると思われる持仏堂が締まっている。お寺のインターホンを押しても反応がない。ネットで見るといつでも見ることができるようであったのに残念である。やむなく、寺を後にして南木曾駅に向かう。急げば次の列車に間に合うが、それを逃すとまた1時間ほど待たなくてはならないので急ぎ足で向かう。何とか間に合ってほっとして駅舎内に入ると、切符売り場が外人さんで長蛇の列である。とても切符を買っていては列車に間に合わないので、切符は列車内で買うことにしてホームに出ると、ホームも外人さんであふれている。普段は乗降客があるのかどうかという駅のホームが、人それも外人さんであふれているのだ、恐ろしい光景である。
ともかく、何とか列車に間に合って今夜の宿泊地恵那駅に向かい、ホテルルートイン恵那に到着。お土産に栗きんとんを買おうと思い、フロントで栗きんとんの名店を訪ねるとすぐ近くに名店寿やがあるとのことなので行ってみると、確かに栗きんとんはあるが、生菓子なので賞味期限は3日とのことで、持って帰る訳にはいかないことがわかり、やむなく自分で今夜食べるために1個だけ購入。
今夜の夕食は飛騨牛の店。飛騨牛溶岩ステーキ極上ランプステーキ200gを注文。食べ応えがあり旨い。ご飯とスープが食べ飲み放題の若者向けの店だが、カレーのルーも食べ放題なのお得感がある。今夜も満足な夕食である。
- 外人さんで長蛇の列
- 恵那寿やの栗きんとん
- 飛騨牛ステーキ






