旧中山道旅の記録④ 5日目、6日目 大湫宿から細久手宿尾張藩本陣へ そして帰路に

●5日目 10月23日(木)

今回の旅で初めて朝食付きで、6時半からバイキングをいただく。今朝は中山道から寄り道して恵那峡へ向かう。7時半ごろ宿を出発し、ホテル最寄りのバス停から20分ほどで遊覧船乗り場に到着すると、1番乗りである。紅葉にはまだ早い時期の朝一番9時の出航ということもあるのか、珍しく外人さんはいない。日本人だけ10人ぐらいのお客さんと約30分のクルージングを楽しみ、恵那駅へと戻る。

今日は今回の旅のメインの一つである、今なお残る尾張藩本陣へ向けての旅である。恵那から徒歩で行くと時間がかかるので、列車で途中の釜戸駅まで行き、タクシーで本陣のある一つ手前の大湫宿まで行く。大湫宿の無料休憩所にはボランティアガイドの昔のお姉さんが二人いて、「中学校の同級生は何人ですか?私は7人ですが。」「私の時は多くて30人ぐらいいたんですよ。でも今は全体で数人かな。」などと田舎談議に盛り上がるが、昆布茶を一杯いただいて、今日の本丸である細久手宿の本陣宿大黒屋へと休憩所を後にする。時刻は11時半ごろである。

好天の穏やかな日差しの中をのんびり歩いてゆくと、今回の旅最後の峠道である琵琶峠にさしかかる。今となっては懐かしさがこみあげてくる石畳だ。今回の旅で最初に踏破した和田峠の時は、峠の頂まで、まだかまだかと疲れる思いであったが、旅の終盤に差し掛かると、峠道が懐かしく、残りの道程が減ってくる道しるべを見るたびに、もう終わりなのか、もう終わりなのかと寂しくなる。

そんな感傷にも浸りながら琵琶峠を抜け、弁財天の池などを右にみながら、いよいよ最後の宿のある細久手宿の本陣大黒屋に到着。3時少し前だったので、玄関でスマホで新聞を読んでいると、女性の外人さん二人連れが到着して、宿の呼び鈴を押すと、宿の主人が出てきた。そつのない感じの主人で、この主人そのものに200年以上続く宿の歴史の重みを感じるのである。

今日の行程は短かったので体力的には楽だった。さっとお風呂をいただいて、宿場を見に出かけるが、この細久手宿は昔の建物はさほど残っておらず見どころも多くはない。

さて、夕食である。夕食は、ゴマ豆腐、ゆり根、アユの塩焼きなど山の幸である。木曽路にふさわしい内容で、思わず最近は飲まなくなった日本酒を頼み、静かに手酌でいただく。中山道最後の夜も静かに更けてゆく。

●6日目(最終日) 10月24日(金)

いよいよ今日は帰京である。7時から和食をいただき旅支度をし、8時に出発、御嵩駅に向かう。京都側から江戸方面に向かうときは、木曽路のこのあたりから険しい山道が随所にあるが、ここまでは比較的なだらかな道ということで、田園風景を縫うように中山道が走っている。

昼過ぎに名鉄御嵩駅に到着。そこからJRの可児駅へ出て、中央線で帰京することとする。御嵩駅周辺には食べるところがなかったので、JRの可児駅か、乗り換えの多治見駅で美味しい駅弁を買いたいと思ったが、駅弁を売っている店がなかったのは残念だった。チーカマ、ナッツとハイボールを買って列車に乗り込み、あとは来た時の逆コースをたどる中央線特急の旅である。

昼過ぎに列車に乗って19時ごろ新宿到着、無事帰宅は20時前。

それにしても木曽路は山の中だった。島崎藤村の”夜明け前”の有名な冒頭の一節「木曽路はすべて山の中である」は本当にそのとおりである。木曽路は右を見ても左を見ても山また山。今回はその山道を歩く何もない旅と言えば何もない旅だったが、その何もないのがまた最高の旅であった。

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