今夜は最近読んだ「すし屋の常識・非常識(重金敦之著2009年発行)を持って往訪。
「マスター!最近こんな本読んだんですよ。」
「読んでみて取り立てて感動したっていうこともないんですが、何点かは興味深い話がありました。例えば、戦後の委託加工制度ってのがあったらしいんですよ。戦争中に米が配給制になったものが、戦後も続いて”外食券”を持たないと外食ができなくなったんですが、その抜け道として自分の米をすし屋に持って行って寿司に加工してもらうのならOKということになったらしいんです。それが大阪にも広がって、押し寿司が中心だった上方も江戸前の寿司がひろがったらしいんですね。」
「ふーん、そうですかね。確か大阪で江戸前が広がったのは昭和40年代だったと思いますけどね・・・。」と腑に落ちない表情のマスター。
「あと、酢飯に使う”酢”ですね。これはミツカンしか知らなかったんですが、東京には横井醸造所という酢屋さんがあるらしいです。寿司竜の酢はどこの酢ですか?」
「ああ、横井ね。木場にある会社ですよね。ウチはいまはミツカンですが、昔横井をつかっていたこともありますよ。」
「また、寿司の板前を派遣してくれる紹介所があるんですってね。”部屋”っていうらしく、”三長会鮨調理師紹介所”が有名らしいんですけど、知ってます?」
「もちろん知ってますよ。でも派遣の板前はタチが悪いですよ。以前、そいういう人たちと一緒に仕事をしたこともありますけどね。やっぱり自分の店を構えてしっかりとやっている板前とは違いますよ。私は筋がいいでしょ!筋が悪いのは客だけですよ!!」とこちらに視線を向けるマスター。
「その他には、やっぱりネタの話ですね。赤貝なら閖上(ゆりあげ)とか。シャコなんかも有名な産地があるようです。」
「ああ、横浜の小柴ですね。うちも開店当初は小柴のシャコを使ってましたよ。確かに旨いんですが、足が速いんで、なかなか使うのが大変でしたね。」
と、こうして聞いてみると、酢といい板前の派遣と言い、小柴のシャコといい、寿司のことは何でも知っているが、これは意外である。寿司の板前とはいえ、競馬のこととスポーツ新聞に書かれていることしか知らないのではないかと思っていたら、ちゃんと寿司のことも知っているのである。
それにしても、小柴のシャコなどそのネタで一番の産地から仕入れたものを置いている時代があったとは、隔世の感がある。
マスターが40歳そこそこで、ようやくオーナー板前になった頃だが、熱い心で燃えるように仕事をするマスターは惚れ惚れするほど格好良かったに違いない。そして、そのマスターに熱い視線を送る若い女性たちと、今と違って筋の良いお客さん。
そんな寿司竜にタイムスリップしてみたいものである。