今夜も一番乗である。係の者は行方不明で、マスターが氷などの準備をしてくれるが、程なくして、先日礼文島に行ったというお客さんがお土産に利尻昆布を持ってきてくれたところにちょうど係の者が戻ってきて、記念撮影である。
その方はお土産を置いて帰られ、他にお客様も居ないので、久しぶりにマスターのこれまでの足跡を聞く。(前回「寿司竜一代記③」)
二十歳の頃競馬をやりたくて上京し、勤めた渋谷の料理屋は「好乃鮨」である。板前が5人~6人いる結構大きなお寿司屋さんで、最年少板前だったがすでに腕はたち、天才と言われる。暫く勤めたあと、友人に誘われて八丁堀の「八丁寿司」に移籍。八丁堀はビジネス街なので土曜日は半ドンだったのがよかった。土曜の午後から日曜は競馬三昧の生活である。そこで数年勤めた後、霞が関ビルにあった「寿司金」に移籍。数年後そこのお客さんの紹介で今のお店を見つけていよいよ独立、この寿司竜のお店を持つに至る。
「私が居た店はみんなつぶれちゃったんですよね。なかなか寿司屋っていうのは難しいんですよ。」
マスターがいたから女性客も集まり、お店がやって行けたのだろう。今夜も寿司竜には超絶美人さんの予約が入っており、ここ寿司竜が別名”神田の美人館”と言われるのもマスターが居ればこそである。
「寿司金で板前やってたときは無口だったんで、独立して一人でお客さんとうまくやっていけるのかど心配されたんですよね。」
とのことで、それがモテる秘訣だったのかもしれないが、それが今やしゃべるなといってもだらだらしゃべり続けるので、お客さんを失う心配をした方が良い今日この頃である。
「この寿司竜で修行後独立したのが、先日お盆の挨拶できてくれたんですよ、嬉しいですね。雇ってくれといったら、無視されましたけど・・・。」
奇特な弟子であるが、意外とマスターは人を育てるのは上手いのかもしれない。なんと言っても徳がありそうな気がする。
ついついそんな錯覚に陥る、うだるような暑さの真夏の夜である。